どうしようもない不良だったけど社会人として頑張ってます!

人生つらたんな体験談

物心ついた頃から、私の家には父親がおらず中学生の頃までは交通事故で亡くなったと聞いていました。

そのことで不自由をしたことはありませんが、ある時本当は父親が自殺していたことを知りました。

私が幼いこともあって家族や親戚が話し合って決めたのでしょう、それまではどの親戚にあっても交通事故死という話でした。

実の父親の死の真相を知っても受け止めきれず

私のこ営業とを思ってのことなのですが、当時の私は思春期真っ只中、みんなに嘘をつかれていたという気持ちの方が強く、自分の家が門限など厳しいのもふらっと出て行った父が自殺したということがあったからなのだと思い込み、いつもイライラした生活をしていました。

学校で同級生とぶつかることも多くなり、ケンカが増えました。

体格も大きかったので、ケンカしても負け知らずです。そうなるとわまりに集まってくるのはいわゆる不良。

当時の私はそういった友達も多いが自分は違うと思っていました。

最初は小さな事です。タバコを吸ったり、髪を染めたり、ピアスを開けたりといった事でストレスを解消している気になっていました。

不良の自覚がないまま、悪い仲間が増えてしまい…

この小さな1つ1つがまた新たな悪友が増えることにつながっているとは当時は川があることもなかったので、中学を卒業する頃には立派な不良の仲間入りをしていました。

親とぶつかることも多くなり、本当はそんなことを言って傷つけたい訳ではないのに、顔を合わせて口論になるとつい傷つけるようなことを言ってしまう。

そうするうちにどんどん家に帰らなくなるようになり、お金はないが腹は減るので悪行を繰り返すといった負の連鎖でした。

かわな生活もうやめたいと何度も思いましたが、今更できることもなく高校もやめてしまい将来に希望もなく、抜け出したいけど抜け出せない状態を何年も続けていました。

どんな自分でも味方でいてくれる母を見て決断

更生施設に入るほど私の生活は荒れましたが、母親は見捨てずに常に私の味方でいてくれました。

そんな母がある時ふととても小さく見えました。

実際私の母は小柄なのですが、今までそんな風に見えたこともなく、とても弱々しく見えました。

このままじゃダメだ!

自分が守らなければ!と思い荒んだ生活から抜け出す決意をしました。

まずはアルバイトを探し、通信制の高校に入学して何とか卒業。

高卒の資格があると仕事の幅も広がり、がむしゃらに働いた10年間。

今では一部上場企業の営業してとして働いています。

去年娘が生まれ、父の仏壇に会わせに行くこともできました。

あの時小さな母の姿を見せたのは、父だったのかもしれません。

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