未曾有の震災を乗り越えろ!「東日本大震災の帰宅困難者」だった私

人生つらたんな体験談
30代中盤の男性です。以前はサラリーマンでしたが、今は色々な事情があり、自宅でフリーランスの仕事をして生活しています。今回のお話は、今でも多くの日本の、そして世界の人々に恐怖として焼き付いているであろう「311」「東日本大震災」に遭い、それに私がどう立ち向かったか?という内容です。

その時は唐突に訪れる

2011年3月11日。当時、私は品川駅から電車で5分以内で行ける、港区のIT企業に勤めていました。年度末の時期ではありましたが大きなトラブルも社内で発生しておらず、まぁ、日常的な「花金」を間もなく迎える、のんびりしたムードでそれぞれが仕事をしていました。そして突然、あの巨大な揺れを、13階にあるオフィスが襲います。そう、311が発生したのです!政府、マスコミ、電力会社、陸海空自衛隊など各種インフラ関連者が総動員で緊急対応体制に移行しました。部長が見ていた携帯のワンセグテレビで流れてきて私たちを絶句させたのは、多数のガレキが海を漂う異様な光景でした。また、会社のリフレッシュルームからは、千葉県市原市のコンビナート火災が東京湾越しに直接目に見える状態で、すわ、日本壊滅か?と強い不安感に襲われました。そしてその後、JRが線路点検などのために、関東圏ほぼ全域の鉄道を止めてしまったのです!これにより神奈川中部が地元の私は帰宅が不可能となり、「帰宅困難者」となってしまいました。夜に入り、暇を持て余していた私たちは、パソコンで情報収集をしたり営業部など他の部署の人と世間話をしたりして時間を潰し、また総務部が会議室を寝室として開放、銀色の就寝シートが配られ、オフィスで一晩を過ごすことになりました。

家族のためにも早く自宅に戻るには

次の日、私は「枕が変わると寝付けない」人間なので、早朝5時にははっきりと目が覚めてしまいました。JRはまだ部分的な復旧に留まっています。しかし、家には、更年期障害が当時重かった母がおり、父も弟も会社の要職で業務に拘束された状態なので、私がいち早く帰還する必要がありました。母からは「無理しなくていい」と言われていましたが、普段使う品川~横浜のルートは使えないものの、小田急線をメインに新宿を経由する西側を大回りするルートは生きていることがわかり、独断で帰還を決意しました。緊急事態に備えペットボトルの水を1リットル分買い込み、緊急事態に備えATMで10万円を下ろして、帰り始めました。地下鉄で新宿駅に到達したとき、おそらく駅構内で一晩を過ごしたであろう多くの人々が、まるでゾンビのように虚ろな顔付でぼんやりと座り込んでいたのが、強く記憶に残っています。その後、特に電車が止まるようなことはなく、神奈川の藤沢に到達したころにはタイミングよく神奈川方面のJRも復旧し、無事帰り、母と家族を心理的に大きく助けることができました。

大きな国難には強い連帯感で乗り切る

2018年現在、西日本豪雨や北海道自身など大きな震災が相次ぎ、さらには311の時10倍以上の損害をもたらすと推参されている南海トラフの発生もほぼ確実視されており、日本が生き残るためには予断を許さない状況が続いています。今までの日本人の歴史がそうであったように、大きな国難が降りかかったときには、強い連帯感で協力して対処し、未来を切り開いていきましょう!

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